2010年04月22日

短歌20100422昼

あめのみづ集めてはやし下水溝われらの下にいま激ちたり
ラベル:短歌
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2010年04月20日

2010年1月22日(金)のメモ。文庫の間にはさまっていたのに、けさ気がついた。 田中宏輔

すばらしいと感じたので、転載します。
文章を書く方には、とても参考になるとおもいます。


田中宏輔氏のMixi記事より転載

2010年1月22日(金)のメモ。文庫の間にはさまっていたのに、けさ気がついた。 2010年04月20日16:32  


あさ、仕事に行くために駅に向かう途中、目の隅で、何か動くものがあった。歩く速さを落として目をやると、結ばれていたはずの結び目が、廃棄された専用ゴミ袋の結び目がほどけていくところだった。ぼくは、足をとめた。手が現われ、頭が現われ、肩が現われ、偶然が姿をすっかり現わしたのだった。偶然も齢をとったのだろう。ぼくが疲れた中年男になったように、偶然のほうでも疲れた偶然になったのだろう。若いころに出合った偶然は、ぼくが気がつくやいなや、たちまち姿を消すことがあったのだから。いまでは、偶然の方が、ぼくが気がつかないうちに、ぼくに目をとめていて、ぼくのことをじっくりと眺めていることさえあるのだった。齢をとっていいことのひとつに、ぼくが偶然をじっと見ることができるように、偶然の方でも、じっくりとぼくの目にとまるように、足をとめてしばらく動かずにいてくれるようになったことがあげられる。

 仕事から帰る途中、坂道を歩いて下りていると、後ろから男女の学生カップルの笑いをまじえた楽しそうな話し声が聞こえてきた。彼らの若い声が近づいてきた。彼らの影が、ぼくの足もとにきた。ぼくの前に、だんだん姿を現わしてきた。彼らの影は、はねるようにして、いかにも楽しそうだった。ぼくは、彼らの影が、自分の目の前にあるように歩調を合わせて歩いた。彼らは影まで若かった。ぼくの影は、いかにも疲れた中年男の影だった。二人は、これから楽しい時間を持つのだろう。しかし、ぼくは? ぼくは、ひとり、部屋で読書の時間を持つのだろう。もはや、驚きも少し、喜びも少しになった読書の時間を。それも悪くはない。けっして悪くはない。けれど、ひとりというのは、なぜか堪えた。そうだ、帰りに、いつもの居酒屋に行こう。日知庵にいるエイちゃんの顔と声が思い起こされた。ぼくは横にのいて、二人の影から離れた。
ラベル:田中宏輔
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短歌20100420昼

ずぴゅーんと「ぴゅ」にアクセントを置く弾を撃ちたりインベーダーの砲台
ラベル:短歌
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2010年04月18日

短歌20100418甲夜

開け閉めの容易ならざる猫の身は切にして立ち襖ひつかく
ラベル:短歌
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2010年04月16日

短歌20100416甲夜

啄木と茂吉を読みしこの宵にわれ泣きぬれてきたりけるかも
ラベル:短歌
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2010年04月15日

短歌20100415夜

流木はぶつかりしのち離れゆく夜よどみゆく湾の奥処に
ラベル:短歌
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2010年04月14日

短歌20100414昼

天井より長く下がりて二十年ほこりまみれのハエトリ紙は
ラベル:短歌
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2010年04月13日

西巻真の短歌時評チェック

 西巻真さんが純響社のサイトで短歌時評を書いています。
 不定期連載です。
 どんどんいい感じになってきているので、チェック。
 そういえば、とくに2010/04/13時点での最新の記事(フランス的な表層か〜略)を読んでいて、文体が何かに似ていると思ったら、いわゆる批評家のひとたちに似ていた。文芸、とくに詩歌は批評者と作者がほぼイコールの場合が多い気がしていて、とくに短歌は(ほかはあまりしらないけれど、たとえば詩は、詩作者いがいの評者が短歌よりは多い気がする。)短歌作者が批評していて、その文体はごく普通に論じているように思われる。わたしみたいに、そもそも普通の文章すらひどいありさまではあまり説得力はないのですけれど、そう感じる。もちろん内容の是非などではなくて、文体のこと。
 ただ、文体が違うと、対象の切り口などもかわってくると思う。
 西巻さんの文体は、批評家の人たちの文体に似ていると思った。それと、すこし遠回りにみえるけれども、いくつかの必要な話や語定義を埋めていっている。
 というわけで、検索したら、石原千秋さんの弟子だたのねー。

西巻真の短歌時評
http://junkyosha.com/jihyo/index.html
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短歌20100413昼

なやましき名としてありぬ社会民主党党首消費者少子化担当相福島みずほ
ラベル:短歌
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2010年03月20日

短歌20100320朝

国家最優先課題として映さるるニッポニア・ニッポン巣立ちの檻[ケージ]
ラベル:短歌
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2010年03月16日

虫武さんとこ

虫武一俊さん
ネットでしばしばお目にかかる。
お!
いいなって思うことしばしば。



虫武さんの近作(と思われる)より六首(順不同)


髪も身も風にまかせてときどきはただの物体に戻りたい

 「物体に」というのがいいよね。「髪も身も」というように「髪」をいれたところが技。髪で風のイメージがあきらかにされて、「まかせて」とともに「か」の韻もふんでいる。そして「ときどき」でリズムを継続させていて。「ただの」できちんとしかもなにげなく「物体」につなげている。
 三句目で転じて下の句で述べているスタンダードな感じで安定している。


スクランブルエッグがうまく作れたと母に言わずにきて、こうなった

 「言わずに」というように否定で表すところはきちっと基礎ポイントついていると思う。「うまく作れた」かここできいてくる。
 で、うまく作れたのは「スクランブルエッグ」なにかありそうな気配でそして、「こうなった」と告げている。読点がきいていて、句跨りをあきらかにした上で「こうなった」の部分を別口にしているので、ながれは自然なのだけれど「こうなった」部分が字足らず的な欠損感もともなっている。もちろん「こう」は指示代名詞だからそれがなんだったのかはわからないけれど、そこを謎にして、受け渡す感覚だけをつたえている。


はこにわにうさぎは眠る はこにわに壊れなければ気づかないまま

 歌そのものは隠喩でつくられているように思える。
 二句で一字空けしているので強制的に切れる。二つの「はこにわ」がループのようにも感じられる。そして二つ目の「はこにわに」は三句なので、下の句がはじめから「壊れなければ〜」という叙述になるのでわかりやすくなる。
「はこにわに壊れなければ」がすごい。はこにわはうさぎ大の生き物のいるような空間とは思えないが、そこにうさぎはいて、眠っている。そしてそこで壊れている。うさぎははこにわ以外のところで壊れていたら気づかれなかったのだ。そしてうさぎは「壊れ」たのだ。
 「はこにわ」の平仮名書きも、「うさぎ」の選択もベストだと思う。これが「箱庭」だったり「犬」「猫」だったらダメなのだ。音のつらなりもいいと思う。


「待たせたな」もうすぐカッコつけながら来るはずおれのなかの勇気は

 ちょっと辻井さんを連想してしまった。^^;;
 「カッコつけながら」のところに意識があらわれている。これは自分を、自分の勇気を客観視している。
 「もうすぐ」「はず」や倒置なども効果がでている。


自転車のうしろのカゴにすっぽりと入ったのでつれていく赤ちゃん

 「ので」ですよ。前の歌の「はず」といい、こういったところが上手だと思う。助詞っていうのかな(実は文法とか極度に苦手で^^;;)。
 「すっぽり」は実にジャストミートだと思う。これが無理やり押し込んだとかだとだめ。すかすかもだめ。ちょうど「すっぽり」がいい。語感もいい。入れられるのは「赤ちゃん」。入れられてつれていかれた。あ、作中主体からみれば、すっぽり入ったので、つれていった。すっぽり入らなかったら?? 「つれていく」ってこともなにやらざわめきを感じるけれど、「ので」って、入らなかったらどうだったのだろうとかいろいろと想像してしまう。「自転車のうしろのカゴ」だなんて、なんてぞんざいな。
 上の句は定型だけれど下の句がすこしイレギュラー。音数だと15音で、1音多い。できるだけ77に分けると「入ったのでつ」「れていく赤ちゃん」となって語割れ感。だけれど実際は「入ったので」「つれていく赤ちゃん」と読むことになると思う。そうすると、あきらかに異常な部分の「入ったので」が音の欠損をまとって、サクッっとくる。
 なにがなんだかわからないけれど、ざわめきを感じてしまう。これは、きちんとわかりやすく景が描写されていて、語選択や助詞のつかいかたで醸し出す雰囲気や、意識のありかたをきちんとしめしていて、それでいて謎を残しているから。


ぜぶらぜぶら世界がすべて安全に正しく色分けされていっちゃう

 これまた不思議な歌、不思議な魅力。
 「ぜぶらぜぶら」のように、通常はオノマトペでないものをオノマトペに使うことはしばしばあって、なおかつ「ぜぶら」はそれなりに人気の高い言葉だと思う。「世界がすべて」も「安全に正しく」も「色分け」も、けっこうよく使われることばだと思う。でもなにか、感じてしまう。既視感だけではおわっていない。
 これはきちんと歌がつくられているからだと思う。ありがちな雰囲気だけでながしているのではなくて、伝えたい方向に歌がむかっているからだと思う。
 「ぜぶらぜぶら」ひらがながいいですね。カタカナの「ゼブラ」からイメージが少しだけ解き放たれるし、ひらがなの感触も出る。そして呪文みたいだ。そして「ぜぶらぜぶら」は「色分け」をきれいに引き出す。
 色分けされていくのは「世界」。ここは「世界」でないといけないのだと思う。「全て」という意味での「世界」、じぶんの認識範囲をあらわすものとして「世界」。
 で、その世界が「すべて安全に正しく」という、これでもかという、きちんとしたものの見本のようにされる。「すべて」「安全に」「正しく」と3つ連なっているのも効果がある。
 これらがすべてきちんと「色分け」に集中している。
 さいごの「いっちゃう」も感情をあらわしていて、そしてこの子供っぽい雰囲気を出すことによって、一首の雰囲気を決定付けている。画竜点睛。


虫武さんのサイト
The NEET-verse
http://blog.livedoor.jp/kitakawachi/
ラベル:短歌,虫武一俊
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2010年03月15日

短歌20100315昼

寒過ぎて皮のくぼみにふくらみし馬鈴薯の芽のにほひ鮮し
ラベル:短歌
posted by はづき生 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 短歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする